前回の面会、
いつもの、「お頼み」も効果なく
帰宅願望の訴えもあったので、
誤魔化しもなく
3日に1度を守って
昨日午前中に面会をして来た
3日前と違い
笑顔で出てきた、、、が
部屋に入ると同時に
毎日の生活の愚痴が始まる
今回は、俺が口を挟むこともなく
訊いてやったがね
本当は、いつもと同じように
同じことでも
同じように
「頼むわ~、、俺のために~」
を繰り返していればいいんだろうがね
なんか、
いくら認知症でもね
バカにしたみたいに
いつも同じじゃ、自分が許せない
普通に対応した
「人生の最後に、まさか私が
こんなようなところに
入れられるとは思わなかったわ、、
ほんとう、、死ねれるなら、死にてえわ
もう、生きていてもいいことがねえくれえ
私だってわかるだで、、
お前だって、
かあちゃんのこと、
気にしなくていいだで、
そのほうがいいぞ?」
「・・・・・」
そうだな
そうだ
だけど、
その半分でも
さみしい
と
いう気持ちがある
半分か?
今回も
話しているうちに
シワだらけの眼の下に
涙のあとが
濡れていた
なんか、それが不憫でね
どんどん重くなる
2ヶ月前には見られなかった顔
間違いだったか?
だが、もう
母が施設に入ったことを
前提にして
俺の生活も進み始めている
こういう想いを抱えて
親を看ていた人
今、看ている人
たくさんいるんだろうなあ
重いもんだねえ
想像もしていなかったよ

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おつらいですねぇ…
れびさんのような、孝行息子さんが、こんなつらさを感じないといけないなんて…悲しいです…
50年前、高度経済成長のころ、貧しさからの脱却のため、大量生産大量消費が促され、核家族でマイホーム、マイカーを持つことが唯一の幸せの形のように描かれ、ほとんどの人がみんな疑うことなく誰かのシナリオ通りの生き方を目指してきたような気がします。
首相のいう「経済最優先」は、本当に最優先にしないといけないのか?「待機児童0を」「女性が輝く社会」というけれど、女性は家では輝くことができないのか?そもそも自分の子どもを保育所に預け、年老いた親を施設に預け、働きに出かけて、家を守る大人がいない。地域社会が希薄になるのは、当然のこと。尊敬申し上げるれびさんがお母さまを施設に預けておられることを非難するつもりは微塵もありません。目には見えない大きな流れによって、現在の日本はこのようなやり方になっていて、個人で変えることは不可能なことと思います。
れびさんは、ご自身のこころと体の安らぎを第一に、(そんなにお若くはないのですから…(笑))
3日に一度、面会に行って差し上げる…なんて孝行息子なんでしょう…
お母さまは、れびさんの幸せを一番に望んでおられます。お母さまのためにも、れびさんが幸せを感じることを増やしてくださいね(^_^)/~~
キリン様、コメントありがとうございます。
OKです。(笑)
そうですね、大きな時代の流れのなかで生き方や家族のあり方も変わってきてしまって現在の風潮があるんですね。
私と母のこともそんな風潮のなかにあるんだと思います。
親孝行にはつらい時代なのかも(笑)、、一概には言えませんが。
「私が幸せに感じることを増やす・・」ありがとうございます。
早いですが、今年の「金言」決定です(笑)、、本当にそうですね、母もそれを望んでいると思います。
今日、面会に行きました。
そして、キリンさんの仰ってくださった金言のような気持ちを、母が言ってくれましたよ。
嬉しい気持ちになりました。
嬉しいコメントありがとうございました。
今後とも、よろしくお願いいたします。