ブログのタイトルを「面会はつらいよ!」に変えようと考えております。

 

 

汚ねえかっこ・・

 

なんだ、ズボンが毛玉だらけ

黒いズボンだから目立つが

 

上着は食べこぼしが

でかく、ついて

 

惨めに思えた

 

と、同時に

哀しくなった

 

グループホームに入れて

 

一月前とは

すっかり変わって、

見ただけでは、

廃人になったように思える

 

みんなと離れた

陽だまりの、いすに座って

 

「ここの職員に嫌なこととかされてるか?」

 

「そんなことはねえよ、、」

 

だけと、こんなとこにいたじゃあ、

川にはいりてえよ、、」

 

こたえる・・・

 

 

不甲斐ない息子で悪いな

 

 

本当にそう思う

 

正月にだって、

家や、母宅に泊めてやりたい

 

だが、妻の反対や

それに、

俺自身も、、自信が

(シャレだが)

ないし、

 

外出だけにしようと、

楽を考える

 

母は役者だよ

 

俺と話すとき

死にたい、、と言い

 

職員のところに行くと俺に

 

「この子がね、とってもいい子でね

良くしてくれるから、お前の嫁になってもらいてえくれえだよ」

 

と、俺の孫とも言える歳の職員を

持ち上げる

 

そんなとき、、

俺と話してる

あの、辛そうなシワだらけの顔が

まあるく、

ニコニコになる

 

そして、その職員と手をつなぎ

 

今日は俺を

玄関で送った

 

なんとも

あの毛玉だらけの

普通、人前にでることが出来ないような

格好で過ごしている母のことを思うと

 

一日、胃が重かった

 

その割りに

食欲はあるんだけどね

 

今日は大掃除をしていて

別のユニットにいたから

母の部屋には行けず、

 

そうでなければ

ズボンを履き替えさせたかったが

 

 

母が

「家でおめえが、いて、夜ゆっくり寝れた頃が、

一番幸せだったよ、、いまとなりゃあ」

 

一月前の

俺にとって、連続2週間の不眠不休の地獄の日々

 

それが、母にとって

最近の幸せの日々だったんだな

 

あの2週間、

母は咳と痰が止まらず、微熱が続き、苦しくても

痛くてたまらないと言っていた点滴を続けていても、

何故か、あの古い家の一室で、

でかい口を開けて、笑い声が絶えなかった

夜は俺が5m向こうに寝ていて

安心だったんだろう

 

でも、おふくろ

妻は怒るかも知れねえけど

俺にとっても、

寝不足でどうにかなりそうな

あの2週間が

 

何故か、懐かしくて

 

もう一回、

あの部屋で、

 

入れ歯を外した

梅干しババアの

あの面白れえ顔を、

笑いてえなあ、、、って

 

地獄だって思っていた

あの日々

 

まさか、

こんな気持ちになるなんてな

 

思っても見なかった

 

ただ、楽になりたかったし

俺を身近でみてりゃあ

 

妻が俺のケツを叩くのも

当たり前のことだ

 

 

だけど、

今日の面会も

 

結局、俺の心を重くした

 

で、

俺は今日も菓子折りを買い

明日、母宅の近所に

 

挨拶に行こうとしてる

 

施設に入って

もう、ここで、暮らすことは

ありません

と、

挨拶する

 

着々と

ひとつずつ

 

母を、終わりにしようと

している

 

気持ちと行動が

一致していない

 

 

これで、いいのか・・・

 

どうでもいいが、

俺の心を重くしている

母の言葉

 

「迎えに来てくれたじゃあ、、、

ねえだか~~」

 

あの、落胆した顔、、

 

 

かんべんしてくれや

 

 

 

 

 

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土色の顔の老婆

 

 

 

土曜日、、

先週日曜日以来の面会に

 

今回は俺だけだから

アッサリと帰ろう

 

と、、玄関の受付で

職員さんたちは、みんな

 

被り物

 

クリスマス会をやっているんだとか

 

皆で集まってるのに、

母の部屋まで連れ出す訳に行かず

 

母の席に後ろから近づき

声をかけた

 

振り向きざま

俺の顔を確認すると

 

「迎えにきてくれた?」

 

それ、やめてくれ

いつでも、

面会に来ると

第一声が、

「迎えにきてくれた?」

 

まだ、まだだな

仕方がない

 

「面会だよ」

 

それから、しばらく

耳打ちしながら

 

頼むわ~攻撃

を2,3分

 

なんかゲームみたいなのを

やっていたので、

邪魔もできないから

 

「それじゃあ、今日は行くから」

 

と、施設を出たが

 

母はついひと月少し前

ショートに週5泊

 

顔にベタベタ塗って

俺に文句を言われながら

シミを隠し

 

髪を気にして

衣類にも少し気を遣い

 

ショートに行った時

爺さんが居ると

「あ、いたいた」

などと、眼を輝かせていた

 

グループホームに行ってからの母は

 

顔になにもぬることがない

 

顔が、土色のように見える

 

何か、別人のような

気もする

 

あの、風邪、、咳、、熱、、

殆ど俺が眠れていなかった2週間以来

 

あれを境に

いろいろが変わったな

 

今はまだ

ガッカリの方が多い

 

今日は施設と

事務手続きで、、、

これから

 

少し、面会も

 

 

あ、、

要介護3

に上がった通知が来た

 

 

 

 

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面会に行くというのは、プレッシャーがあるもんだなあ

 

 

 

この前の日曜日

 

面会に行ったが、

母の様子は違っていた

 

俺たち、(妻も行った)がロビーに行くと

ソファーの真ん中で座っていた母は

職員さんに面会を聞かされ

こちらを見たが

 

前回までの目付きと違い

少し精気があるように感じた

 

笑ったが、

泣く素振りはなくて

一緒に部屋に行く廊下で

「帰れるだか??」

「いや、面会だけだよ、、

この間、帰ったじゃねえか」

「な~んだ、

かえれるんじゃねえだか~」

 

と、口では言うが、

何となく、少し元気そうに見えた

 

で、

「〇〇~~

嬉しいよ~~来てくれてえ」

と、

妻に言い

妻は、何といっても

「後方支援の良い妻」

で、あるので、

部屋に行ってからも、

一緒にラジオ体操をしたり、

一生懸命に母と話をして、

盛り上げてくれた

 

母は帰宅願望や

愚痴も口にしていたが、

 

いつも仲の良い、

「品のいい婆ちゃん」

と、隣にいて、話をしている

と、しきりに言っていた

 

30分ほど

なだめ、笑わせ、

そして頼み

 

「これから仕事だから、

そろそろ行くわ」

と、言っても

あまりガッカリした様子もなく

一緒にロビーまで戻ると

 

ソファーの真ん中に居た、

品の良さそうな婆ちゃん」が、

母を見ると

持っていた母のひざ掛けを

母に渡しながら

自分の隣を

手でトントンとたたき、、

母に座るように導いていた、、

 

「仲良しなんですよ~」

と、職員さんが言っていた

 

施設を出て、

後方支援と、

 

「本当に、品の良さそうな婆ちゃんだったな」

 

「だけど、名前は知らんって言ってたね」

。。。

「婆ちゃんて言ってたけど・・・」

・・・

「いったい、自分は幾つだと思ってるのかね、、」

 

「自分の方が、年上じゃない??」

 

「髪なんか、染めてる人、

他にいなかったよ?」

 

「自分だけ若いと思ってるだかねえ?」

 

「止まってる時計、はめちゃって、

意味ねえじゃんねえ?、、え?預かってきた?

そのほうが、いいわ」

 

「もっと、認知進んだって聞いていたけど、

ど~ゆ~??、、良くなってるじゃん??」

 

「ありゃあ、いろいろ文句言っていたけど、、

私達の顔見りゃあ、文句言いたくなるんじゃないの~??」

 

「性格が強いから、

グループホームったって、そんなに心配しなくていいんじゃない??」

 

「そんなに、馬鹿みたいに

面会に行くこた、、ねえわ、、」

 

「あんな、気の強い母ちゃんのこと、

そんなに、心配するこた、ね~~んじゃあ~~」

 

「そのくれえに、しとけや・・・」

 

後方支援

俺が少しスキを見せると

すぐに、そこにクサビを入れてくる

 

その日はそこで

止まったが・・

 

この頃、

大分、自由に母を悪く言えるようになってきたな

 

まあ、

どう思おうが

本人の前に行けば

 

見事な程、「明るく良い嫁」

を演じてくれる

 

母が喜ぶんだから、

それ以上は望めねえよ

 

本当に見事だよ

 

最近じゃあ、

一緒に面会に行った時も

 

家に母を連れて来た時も

 

その後の

コロッと変わる

その本心を訊くのが

楽しみにもなってきたよ

 

 

それでも、今回、

仲の良い婆ちゃんが出来たのと

少し、元気であったことで、

安心感はあるが、、

 

で、明日は一人で面会に行く

 

憂鬱だな

 

 

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伝家の宝刀、、「かあちゃん、、たのむわ~ 俺のために」

 

 

 

先週、母の友人から電話の着信があった

最近はそんなに、来ねえのに

 

「電話したけど、

居ないから、どうしたかね~?

風邪だって言ってたから

入院でもしたかと、

心配しています。」

 

と、留守電が入っていた

 

そんなに心配なら

もっと、来てくれりゃあ

いいのに

などと、

俺も勝手の良い事を

思ったりしてたが

 

丁度、先週

母を外出させて、

俺の自宅で昼食を

食べてもらおうと

妻と話をしていた

 

妻は

友人たちと会う事を

反対したが、

(思う事があるようで・・・)

 

結局、昼食後に

母宅で、友人二人に来てもらい

久しぶりに

話でも

 

ということにした

 

迎えに行くと

母は俺の顔を見ると

涙ぐむんだが、、

 

「やっと、帰れるだか?」

・・

(職員さんが苦笑してるじゃねえか

車に乗ってから言えばいいのに)

 

「今日はこれから

俺の家で昼喰って

その後、おふくろの家に行って

〇〇ちゃんと、〇〇ちゃんが来るから

話して、

夕方には

ココ

に、戻ってきて

ココ

で、また

泊まるだよ」

 

「はぁ~

また、ここに

来るだか・・」

 

つらい、瞬間だな

 

母は、この日も

やはり、あまり精気がなく

 

俺の気持ちも重かった

 

母は

妻の手料理を

「美味しい、美味しい」

と、いつものように食べ

 

散々、施設での寂しさを

喋りまくり

 

妻が行ってほしくない

トイレに

2度行き

 

ホッとする妻に見送られながら

俺の車に乗って

母宅に向かったが

 

友人二人との会話も

いつものように、

最近は、ついていけない

 

たまに、

トンチンカンな事を言うし

 

友人たちも

もう、分っているんだから

合わせりゃあ、いいものを

 

「何、おかしなこと

言ってる~~?

そりゃあ、違うよ~

ペチャクチャ

ペチャクチャ」

 

俺も30分ほど同席したが、

1時間ほど、座を外した

 

あの、ババアたち

ちったあ、ボケた方に

合わせろや

 

身勝手な事を思ったが

まあ、

来てくれるだけ有難いか

 

それにしても、あの二人

一人はまだ運転してくるし

一人は1日1万何千歩だか歩くし、

口は達者だし

 

母が独りになった頃、

俺が戻ったが

 

ベッドを見ると

電気敷き毛布の電気を入れてあった

 

「おい、今日はこれから

帰るだぞ、、アソコに

 

「え~~??

なんで~?

自分の家に泊れると思ったに~~」

 

「いや、アソコの部屋、冬の間借りてあるし、

俺がココ泊まると疲れるし・・

アソコに帰らんと、向こうが心配するし、、、

頼むわ~」

 

母の落胆は

激しいものだったよ

 

俺は1時間置きくらいに

「今日はアソコに帰って

寝るだぞ」

と、幾度も念を押していたのだが、

 

それでも、

その落胆の様子は酷かった

 

目を瞑り

溜息をつき

頭を垂れ

何度も、溜息、、

 

暗くなってきた窓の外

母と俺は

しばらく、無言で

交代に

溜息をついていた

 

 

・・・

ヘンな図

 

 

 

さらに精気を失った母を促し

母宅を出て

車に乗せる際

母は、

車内に脚を上げる力も残っていないようだった

 

俺が脚を持って

上げたくらい、落胆した様子で

 

返事もろくにせず

 

結局、車で施設に行く20数分

母も俺も溜息しか出なかった

 

施設の直前で

「気持ちはわかるけど、

息子のためだと思って、頼むわ

俺が倒れたら、全部終わりだからな

不甲斐ない息子で悪いと思ってる、

ごめんな」

(母はこういう俺のセリフに弱いのだわ、、)

 

すると、母は

「お前がごめんって言うこたあ、ねえわ

ごめんって言わなきゃいけねえのは、

かあちゃんだわ

かあちゃんが、長生きしすぎただわ

ヘボい親で、ごめんな

息子のためなら、かあちゃんは

嫌なとこでも、頑張るわ

それしか、ねえじゃ?」

 

と、

 

俺の思い通りの答え、

シメシメ

 

なんとか、施設の駐車場で

こじれた気持ちを治めた

 

こうやってみると

 

どうだ?

 

 

俺も

たいしたもんだろう?

 

 

 

つづく

 

 

 

 

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損な性分だった母の息子は全く同じだった

 

 

眠れない、、

母宅ほどではないにしても

寝付けない

 

母がグループホームに入所してから

10日が過ぎた

 

先週は、

ひざ掛けを買って、

妻と二人で会ってきた

 

時間もなかったので

玄関での対面を頼んだが、

 

玄関に出てきた母は、

風呂上りだそうで、、

 

なんと、

髪をキレイに染めてあった

 

入所の際の

施設の方との雑談で

俺が、髪染めのことを

 

「いつまでも、気にしてて困る」

と、、

 

「大丈夫ですよ、お風呂場で、私が使ってるので、

チョチョイって染めてあげますよ、、」

 

早速、やってくれたのか

 

だが、その件については

母もほんの少し、3秒ほど喜んでいたが、

 

妻の顔を見ると、

「おい~、、いつ帰れるだえ~~

もう、川にでも飛び込みてえ~~

歩いて、帰ろうと思ったわ~~」

 

俺ではダメだから

 

妻なら、何とか

家に連れてってくれると思ったか

(母は、とても優しい嫁だと思ってるから)

 

だがな、おふくろ

おふくろに対する心はな

 

俺に比べれば

本当に、

冷てえぞ

 

家で何言ってるか、

知ってるか?

 

と、心で思ったが

 

まあ、妻にこの玄関では

優しい嫁 

演技させてやろう

 

まあ、実際、

あまり接していない分

接するときは

優しいのは事実だが

 

時間がないので、

そこは速攻でなだめ

 

母も、諦め

ひざ掛けを持って

ロビーに帰って行った

 

・・・

 

先週は

金曜日にも面会をした

 

施設からの

アレ持ってこい、コレ持ってこい

で、行ったついでだが

 

母の部屋まで行って

話した

 

母は、眼が細くなってるように感じた

眼に力がない

 

喋るには喋るが

眼がしっかりしていない

 

認知症が進んだように感じたが、

どうなんだろう

 

笑顔もない

 

いつものように、

笑わす冗談を言うが

反応が悪い

 

帰りたがるが

俺が頼むから

諦めたか

 

もう、家には帰れんだか?

と、不安があるのか

 

気力もなさそうで

 

ロビーに歩いていく

猫背の小さな後ろ姿が

不憫に思える

 

その背中を

 

夜、床に入ると

思い出すんだな

 

それで、悶々としている

 

母が風邪で寝込んだ時

2週間、泊まり込んだ

 

咳や痰が激しく、

このまま逝っちゃうか?

と、不安と期待をしたものだが、

夜中でも、

母はわりとトイレの失敗もせず

会話も陽気で、

微熱があっても

大笑いをしたり

 

俺が夜に居ることに

安心していた

(俺には地獄だったが、、)

 

それから、1か月も経たない

 

母は病み上がり

まだ、風邪薬

抗生物質を飲む状態で

入所した

 

近くで其処しか空いてねえし

 

年内、ショートで良かったかもしれないが、

 

そうも思うが、

 

なんか、間違った~??

慌てすぎた~~?

 

わからねえ、

どうすれば良かったんだか

俺にゃあ、

わからねえし、疲れてたし

誰にも頼れねえし

 

 

予想はしていたが、

なかなか、キツイ

 

母の中の様子が心配で

 

病的な心配性だった母の息子は

やはり、病的な心配性のようだ

 

多分、死ななきゃ治らねえ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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4日目だが、、

 

 

昨日、

嵐のように電話で言われた

敷布団カバー

敷きパット

厚い靴下

まくら

なんだ、かんだ

 

仕事を済ませた夕方

届けに行った

 

会うのが不安だったが、

 

そのまま帰るのも

なんだな

 

何がなんだ?というと

 

せっかく自宅で

ゆっくり晩酌が出来ると言うのに

 

母のことが

心に引っかかっていては

気持ちよく晩酌が出来ないんだな

 

特に、寒くなったので

最後に

ホットウイスキー

〆ようというのに、

なんか

スッキリ、暖かい気持ちになれない

 

そんな、不届きな

親孝行とは思えない気持ちで

 

母と面会したんだな

 

だが、

これは母の様子によっては

哀しい晩酌になる可能性もある

諸刃の刃ということか・・・

 

俺を確認すると

 

母は、

 

やっぱ

こらえきれずに

泣いたね

 

不安だったんだろう

 

ロビーの少し離れた席に座り

じっくり話した

 

じっくり

 

「夜、おふくろの家じゃあ

俺が寝不足で死んじゃうから

昼間は仕事しっかりやらなきゃいけねえし

冬の間ここで泊まってくれ頼む

時々、面会にくるし、たまに俺の家に行って

飯食って、ここに帰って泊まればいいから

頼む!俺のために、頼む!」

 

「ここは何しろな、

寒くてな、ひざ掛けがこれしかねえからな

となりの人がひざ掛けがねえから、半分掛けてやるもんでな

寒くて、寒くて、」

(アレ?俺の、「頼む」の返事は??)

 

「わかった、

すぐに、モアモアのひざ掛け

買って持ってくるでな」

 

「寝る布団にきのうの夜な

入ったら、暖かくてな、

それだけは、嬉しかったよう」

 

「そりゃあ、よかったな

ありがてえなあ」

 

「寝る部屋からな

見えるところに

〇〇の家があってな、

だけど、〇〇は居るだかなあ

元気でいるだかなあ」

(〇〇は兄だが、、そんなとこに家があるわけねえのに・・)

 

「おう、元気でいるよ

だけど、絶対、会いには来ねえからな

会いに来るのは俺だからな

でも元気だから安心しろ」

 

と、この話題を

じっくり

話した

 

 

じっくり

 

この話題を

 

5回程、繰り返し

 

ほんとに

ジックリ話した

 

俺も

これくらい繰り返せば

もういいだろう

と、思い

 

「ちょっと、おふくろ!

その話な

今、5回目だぞ?」

 

母が

ニコ

っとしたので、

安心して

「それじゃあ、

明日、ひざ掛けもってくるからな」

 

・・・

 

「ここは何しろな、

寒くてな、ひざ掛けがこれしかねえからな

となりの人がひざ掛けがねえから、半分掛けてやるもんでな

寒くて、寒くて、」

 

「あのな、

それ、6回目だからな、、

わかったで、

明日持ってくるから

今日は、帰るぞ」

 

 

もう、

赤だ、青だ

面倒なので

このくらいで〆るが

 

無事、昨夜

 

旨い

ホットウイスキー

あんこ

ナメナメしながら

楽しみました

 

母の苦悩と引き換えの

幸せは

 

幸せと呼べる気分ではなかったものの

 

とにかく、

母と

 

じっくり

 

話すことが出来て

良かった

 

ことにしておこう

 

 

 

 

 

 

 

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二晩過ぎて、気持は晴れねえな。

 

 

2週間に及ぶ母宅の生活

日中は自宅や仕事へも出掛けたが

 

母宅で睡眠がとれない俺には

週、2,3泊が限界だったのだが

 

2週間連続となると

とても過酷だった

 

何より寝不足、、

 

母は途中から抗生物質が効いて

咳も痰も止まったが

時折、微熱がぶり返す

 

かかりつけ医に4度

母は痛くて

「死にてえ~~」

という

 

最近、点滴もうまくいかないんだろうか

 

そんな母を

生かさないといけない俺の

弱った気力も、、失せる

 

治らないと

ショートに行くことも出来ず

つい、、

「そっちで風邪をうつしたくせに」

と、ショートに対して

品のない恨みを感じたり

精神的にも良くない

 

ケアマネには

以前から

グループホームを勧められ

ショートには冬季間のダメ出しを喰らい

グループホームを数件あたり

 

ひとつだけ空いていた

 

気が進まないが

俺の身体と相談して

 

妻のプレッシャーもあって

(俺の身を案じてのことだが)

 

空いてるグループホームに

世話になることにした

 

俺が焦っているからだ

 

風邪っぴきで入所するわけにもいかず

 

結局、母の風邪は

極限まで俺の体力を削ったから

 

夢遊病者のような保護者の俺に

冷たく連れられて

グループホームに行った

 

2晩、過ぎたが

 

ホームから

「アレ持ってこい、コレが足りない」

の嵐

 

入所2日前に

母を連れ、ホームを見せ、職員や利用者と、、

 

しかし、俺が感じたのは

 

母と他の入所者の違い、というか、、

 

明かに何かを考え、ボケたなりに

何かを考え、観察してる母

で、他の入所者たちは

 

言い方が良いか悪いかわからないが

 

他の方たちは

イっている・・・

ように見える

 

母と一言やり取りするが、

二言目には、違う方向に向いている

 

母は笑顔で

職員や施設を褒めまくり

 

満面の笑みを浮かべ

満足そうに

施設長や職員に見送られて

車に乗り込み

 

走り出したとたん

 

「・・・

地獄に来たかと

思った・・」

 

 

母宅まで

車で20分

 

2週間の夜勤に

憔悴しきって

限界を超えていた俺は

 

母を詰り倒した

 

母宅に戻っても

それは続き

 

これまで、何度もあった

 

しかし、少しずつ

現状も受け入れ対応できるようになって

激高することもなくなってきた

 

だが、その日の夜は

もう、取り返しのつかない

 

心の傷になってしまったよ

 

母は、

子供のように

「え~ん、え~ん」

と泣き

 

トイレに鍵をかけ

泣き続けた

 

認知症で働かなくなった頭と

弱った小さな身体

 

汚い言葉で

詰り続けて

俺は

自分のうっ憤を晴らした

 

「死にたい」

と言うので、

 

早く、そうしろ

 

俺が出て行ってる間に

「死んどけ」

 

と、

俺は外に出た

 

地獄の夜は

それでも明けた

 

夜中の間

 

母がトイレに起きても

俺は口もきかず

無視を続けた

 

俺は

親孝行だよ

 

そういって、

親孝行だと

人に言って

かましてきたんだよ

 

母親を

子供のように

悲しくて号泣させるほど

なじりたおす

 

親孝行だよ

 

朝、

母は

コタツで座って

 

寝てる俺の

はだけた足に

毛布をかけ直していた

 

「朝だよ、

〇〇ちゃん、朝だよ」

 

認知症だが

ほんとに

覚えてないのか?

 

母にしてみれば

風邪で2週間

自分の家で、

夜、息子がそばに寝ていて

 

「家は

気楽で良いな~」

 

だが、その息子は

身体が寝不足で蝕まれている

 

見学、面接から

2日後

 

ホームに入れた

ケアマネさんから

「あまり気に入らなければ

替えることも出来ますからねえ」

の言葉も

後押しで、

限界の俺は

ホームに入れてしまった

 

当日、入所後

 

足りないものを持って行って

 

母に会った

 

母は他の人たちの

真ん中に座っていたが、

 

俺に

「ここは、ちょっと

大変なところだよ

今、連れて帰ってくれるだか?

ちゃんと、迎えに来てくれるだか?」

 

なだめて

仕事しなきゃいけねえから

と、

そのまま別れてきたが

 

2晩過ぎた

 

夜、母を考えると寝付けないが

眠りにつけば母を気にせず

睡眠をとれている

 

だが、

これから自信がないな

 

昨夜も施設から電話で

足りないものだらけ

 

最初だけだろうが、

ショートなんて

どれだけ楽だったか

気持ちも含めて

 

母に会うのが

恐く、つらい

どんな様子か

 

連れてけと言われると

どういったらいいか

 

ホームからの母の様子は

普通に過ごしているが

それは、母の気持ちの表れじゃないから

仕方ないが

 

母の気持ちまで考えると

 

 

俺の気持ちが晴れない

 

まあ、あんな

 

こともあったし

しばらくダメだろう

 

気力がない

精神的なダメージが

ボディーブロ―のように効いている

 

俺は夢遊病者のように

横になって伏して

 

妻が足りないものを

用意してくれてるが、、

 

しばらく、

気持ちが不安定だ

 

もっと、

冷酷になれと思うが

 

激高したときは

冷酷よりもっと

酷い事言いまくった奴が

よく言うわ・・・だが

 

 

 

 

 

 

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